【 登場人物 】
葉山さん:ワインの世界を新しい切り口で教えてくれる、人気ワインライター
マナブ:社会人3年目、ワイン初心者で彼女募集中のイマドキ風な若者
金曜日の夜、西麻布のワイン・バーで、ちょっとチャラい青年が、オジサンから「シャンパーニュのウンチク」を聞いている。
「この前は、ありがとうございました。教えてもらった『G.H.マム』、飲みましたよ。それから、『カサ・ブランカ』もレンタルして見ました。かなり、使えそうですね。今夜もカッコいいシャンパーニュの話を教えてください」
「前回は、映画の話をしたけれど、今回は絵の話でもしようか」
「絵ですか?…オレ、あまり絵のことは詳しくないんすが……」
「詳しくないからこそ絵なんだよ。みんな絵に詳しくないから、ちょっとだけ知ってると、めちゃくちゃ目立つだろ?まずは、『ミニミニ美術講座』から行こうか」
「(「いつも通り、ごり押ししてきたなぁ」と諦めモードに入る)あ…はい、お願いします」
「美術の分野で、『アール・ヌーヴォー』って聞いたことがあるだろ?フランス語で『新しい芸術』って意味なんだけど知ってる?」
「名前だけは聞いたことがありますが……」
「名前さえ聞いたことがあれば、それで十分。ちょっとオシャレな女性月刊誌で、よく、『アール・ヌーヴォー』の特集をしてるよね。お腹にタイヤを5、6個巻き付けたみたいなプクプクの女性のヌードを描くルノワールは、PTAオバサン御用達だけど、『アール・ヌーヴォー』は、スタイリッシュで、カッコいいオネエサンが大好きだよ。モテ要素が圧倒的に大きいよ」
「(モテると聞いて、少し元気が出て)『アール・ヌーヴォー』とシャンパーニュがどう関係するんですかね?」
「まあまあ、慌てないで。『アール・ヌーヴォー』で一番有名な画家が、エミール・ガレだ。で、そのガレが描いたアネモネのエッチング・ボトルを使ったシャンパーニュが、ペリエ・ジュエ社のベル・エポックなんだよ。箱根のポーラ美術館で、エミール・ガレの作品を見ることができるんで、彼女と仲良くなったら見に行くといいよ」
「ペリエ・ジュエって、お花の模様のシャンパーニュですよね。ちょっとカッコイイなぁって思ってましたよ」
「そう、パリのファッション関係者に圧倒的に人気のシャンパーニュがこれだよ。シャンパーニュに『美女ボトル選手権』があれば、第3位は、プリーツ・スカートみたいな細かい襞がキレいなヴランケンのディアマン、銀メダルは、金色の網タイツに入ったジャンメールのエリゼー、で、2位以下を20ゲーム離してブッチギリのトップは、アール・ヌーヴォー風のアネモネをボトル全体にエッチングしたペリエ・ジュエのベル・エポックで決まりだな」
「やっと、葉山さんの狙いが分かりました。『アール・ヌーヴォー』のことをもう少し教えてください」
「(スイッチが入って)よし、了解。ベル・エポックのボトルの絵を見れば分かるだろうけど、『アール・ヌーヴォー』って、クネクネの妖しい曲線で絵を描くんだよね。で、モチーフが、蝉、トンボ、蛇、月夜茸みたいな、『ちょっと気持ち悪い系』だな。イギリス人と違って、フランス人は昆虫や爬虫類が超級苦手なので、かなり気味が悪いはず。気持ち悪さのギリギリを見切った芸術がアール・ヌーヴォーだな?」
「確かに、アール・ヌーヴォーって妖しくって怪しいっすよね」
葉山「いいことを教えてあげよう。『アール・ヌーヴォー』が流行った期間は、物凄く短いんだよ。美術の歴史を1日とすると、アール・ヌーヴォーは3分だけ、ほんの一瞬、表舞台で注目された感じかな?」
「そんなに短いんですね」
「『アール・ヌーヴォー』の作品を見たら、とにかく、『1900年、プラスマイナス10年頃の作品ですよね』と言っておけば間違いない。相手は、『こいつ、芸術にめちゃくちゃ詳しいじゃん』とハッタリ度抜群だよ。ベル・エポックは、シャンパーニュの中で、ボトルが圧倒的にスタイリッシュなんで、女性のお誕生日プレゼントでダントツの人気だね」
「それ、いただきます。シャンパーニュもプレゼントしますよ。でも、ベル・エポックって、ちょっと高いっすよね」
葉山「いいことを教えてあげよう。女性の誕生日に必ず、口紅をプレゼントするプレイボーイがいて、なぜ、そうなのかって聞かれて答えたそうだ。『だって、半分返してもらえるだろ?』。シャンパーニュも、半分は飲ませてもらえるんで、少し高くても頑張ってプレゼントしよう」
「了解っす」
「ちなみに、アネモネのボトルは、エミール・ガレが1903年にペリエ・ジュエにプレゼントしたボトルがもとになってるんだ。ペリエ・ジュエ社は、新しいシリーズを出そうとして、なにかアピール・ポイントが欲しいと考えて、『よし、あのアネモネのボトルに入れよう』ということになったんだ。1964年のことだよ」
「えっ、じゃあ、1903年から1964年まで、どうしてたんですか?」
「(あっさりと)地下セラーに置いといたまま、忘れてたんだろうね。初ヴィンテージの1964年は、1970年にパリのキャバレーで初お目見えするんだ。その時のスペシャル・ゲストが、あの有名なジャズの巨匠、デューク・エリントンなんだよ、スゴイだろ?」
「(いきなり、話しを振られて面食らい)デューク・エリントンって誰ですか?」
「えっ、『A列車で行こう』を知らないかぁ?本当かよ……。ロマネ・コンティを知らないヤツがいても、デューク・エリントンを知らないヤツがいるとは思わなかったぁ……。まあ、いいや、そういう時代だからな。うん、いいよ、気にしないから(と言いながら、物凄く気にしている……)」
「(勇気づけようと)あとで、youtubeでチェックしますよ」
「(ちょっと気を取り直して)パリでのベル・エポックのお披露目は、1970年4月29日で、デューク・エリントンの70回目の誕生日をお祝いしたんだよ。ちなみに、4月29日は昭和天皇の誕生日でね、ジャズ・ファンには常識だよ」
「(話題がジャズに戻りそうになって焦りながら)ジャズは、ちょっと……」
「じゃあ、マナブ君の好きな映画にしよう。イヴ・モンタン主演の『ギャルソン』って映画に、ベル・エポックがカッコよく出てくるんだよね。切なくてほろ苦い映画でね。よく言えば、人生を見つめるフランス風、悪く言えば、大人すぎてすっきりしない感じかな?」
「気になります」
「でも、イイ映画だから、彼女の誕生日にベル・エポックをプレゼントして、『ギャルソン』をレンタルして一緒に見るとイイよ。前回、『G.H.マム』がカッコよく出てくる映画、『カサ・ブランカ』を見るのとイイと言ったけど、それと同じ効果があるんじゃないかな」
「(前回の『カサ・ブランカ』を思い出して)イイっすね。是非、使わせてもらいます」
「うん、シャンパーニュを正しく悪用してくれると嬉しいよ」
と言いながら、グラスのシャンパーニュを飲み干し、夜の雑踏に消えて行った。 …次号へ続く