【 登場人物 】
葉山さん:ワインの世界を新しい切り口で教えてくれる、人気ワインライター
マナブ:社会人3年目、ワイン初心者で彼女募集中のイマドキ風な若者
7時を過ぎても薄明るい夏の夜。青山一丁目のオシャレな和食店に、ちょっとチャラい青年、マナブ君がオジサンから「シャンパーニュの薀蓄」を聞いている。
カウンターの中では、豆絞りの手拭いで鉢巻きをしたオネエサンが、カンパチを手際よく捌いていて、マナブはその手元をじーっと見ている。グラスのシャンパーニュを一口飲んで葉山が言った。
「おや、マナブ君、板前のオネエサンに見とれて、どうしたんだい? もしかしてタイプ?」
「いや、包丁捌きがカッコいいなって思って。和食の世界って、完全な男社会でしょ? その中で修業して一本立ちするってことは、いっぱい苦労があったんでしょうね」
「ん? 今日はいやに訳知りの大人だね。どんな風の吹き回しだい?」
「実は、先週、高校の同窓会で田舎へ帰ったんすよ。そしたら、弘美ちゃんっていう、学級委員だった子がいるんですけど、お父さんのやっているビストロの跡を継いだって言ってて、凄いなぁって思ったんすよ。オレと同じ年なのに、もう経営者のオーラみたいなのが出てて、圧倒されちゃいました……」
「なるほどね。それで今日は大人しいんだな。じゃあ、今回は、女性が頑張ってるシャンパーニュをお勉強しようか」
「ということは、女性が経営しているメゾンがあるってことなんですか? そのメゾンの社長って、高校時代は学級委員だったんすかね?」
「学級委員だったかどうかは知らないが、女性が当主というシャンパーニュ・メゾンは多いよ。というより、シャンパーニュでは、女性の方が頑張ってるかもしれないね。そのトップ・バッターが、今飲んでる『ヴーヴ・クリコ』だよ。桃の香りがするだろ? このエレガントな香りがクリコの特徴だ」
「えっ、これが?(と言いながら、グラスを見て香りを嗅いで、フンフンと頷く)」
「ヴ―ヴ・クリコが、元祖『シャンパーニュの細腕繁盛記』だよ。ヴーヴは、前回にも言った通り、『未亡人』の意味だから、『クリコ未亡人』だ。シャンパーニュの名前にしては、相当変わってるだろ?」
「そんじゃあ、結婚式で使えないですね。だって、いきなり『未亡人』なんて、縁起でもないっすから」
「と思うだろ? でも、英国王室の結婚式では、必ず、ヴーヴ・クリコが出るんだよ。女性が頑張ったことにあやかりたいのかもね。シャンパーニュ・メゾンには女傑が多いけれど、真っ先に名前が挙がるのがこのクリコのニコラ夫人だ。ソムリエ試験にも出るぞ」
「マジっすか! ソムリエ試験にまで!?」
「ニコラ夫人が結婚したのは、フランス革命で大荒れの1799年だ。ご主人はシャンパーニュを造っていて、そこの女将さんだな。ところが、27才で未亡人になってしまった。娘さんのクレマンティーヌはまだ3才の時だ。周囲は心配したけれど、ためらうことなく、ご主人のシャンパーニュ・メゾンを継ぐことにしたんだ。当時、シャンパーニュ造りは完全な男社会だったので、そこで生きていくのは大決断だったと思うよ。ご主人が亡くなって、やっと 1カ月だ」
「弘美ちゃんは、まだ独身だったはずなんですけど、ひょっとして……」
「(マナブの独り言を無視して)ただ、ニコラ夫人には人の能力を発掘する才能があったんだよ。今なら、プロ野球の名監督や、芝居の名演出家というところかな? スゴ腕の醸造技師を招いて、革新的なシャンパーニュの澱引き法を編み出したり、経営センス抜群のマネージャーを連れてきたりして、クリコ社は大成功したんだよ」
「確かに、弘美ちゃんはバスケ部のキャプテンで人望があったし、作戦を考えるのが得意でしたね……」
「ということで、ニコラ夫人の業績を記念して、クリコ社は1972年から、『ヴーヴ・クリコ・ビジネスウーマン・オブ・ザ・イヤー』という賞を設けたんだ。世界のいろんな分野で輝いている女性に授けるもので、日本じゃ、1996年に講談社の野間佐和子さん、2004年に世界銀行の小林いずみさんが授賞したよ」
「もし、弘美ちゃんが、お父さんのビストロを大きくして、ミシュランから星を3つもらったら、その賞をもらえるかもですね。オレが弘美ちゃんの隣でニコッとしている写真が新聞に載りますよね(と、葉山に同意を求める)」
「(マナブの視線を軽く受け止めて)ヴ―ヴ・クリコは、ルイ・ヴィトン・グループのシャンパーニュ・メゾンなんで、ルイ・ヴィトンの高級バッグと一緒に写っていることが多いよね。日本じゃ、女性月刊誌でよく取り上げてるから、高級ブランドのイメージ戦略が大成功してると思うよ。いわゆる、『自立したリベラルなキャリア・ウーマン』の間で大人気だから、女性へのプレゼントとして、イイんじゃないかな?プレゼントしながら、『頑張っている女性をサポートするシャンパーニュです』って言えば、相手は感動してくれると思うよ」
「じゃあ、次の同窓会には、ヴーヴ・クリコを持って行きます。奮発して、マグナム・ボトルにしますよ(とキッパリ言い切って、3回頷いた)」
マナブの視線を無視して、グラスのシャンパーニュを飲む葉山さん...次回は、ヴーヴ・クリコのカラー「クリコ・オレンジ」について、葉山さんの薀蓄が止まらない…。